「変な顔してるな」 二十年に一度の年だというので焦燥感に襲われている。二十年しか生きていないし、来年地球が滅ぶことは確定事項なので俺が体験する二十年に一度はこれが最後なのだ。 それは世界が共有する焦りであったらしい。タケウチが言うのだから間違いない。タケウチはここらで一番の秀才だし、親父は外交官でお袋はウシガエルから夜尿症の特効薬を作り出した人だ。都会からタケウチと婆ちゃんとで疎開してきたが、まだ大学に籍は置いているらしい。同い年なのにかなり額が広い気がするが、結構端正な顔付きだから女には事欠かない。遊び人だった。 そのタケウチが言うのだから間違いない。この一年は、とても大事な一年なのだ。 その所為で生じる遣り切れない居心地の悪さに苦しめられている。一年は短い。あっという間に俺たちは死ぬ。でも何をすればいいのか、皆目見当も付かない。取り敢えず今晩は通夜だ。予定の入っている日なら、こうしてモニターを睨んでいても罪悪感を覚えない。 両親は二十年に一度だからと言って、よく外出した。冷え切った夫婦仲も気持ち悪いくらい沸かし直されて、やばい薬でもキメてきたかのような面して帰ってくる。にやにやへらへらして、そんな阿呆面引っ提げて余所さまに会ったのかと思うと不肖の息子ながら恥ずかしい。でも今は何処も、そんなもんだと聞く。 俺はこの二ヶ月くらい靴に足を通していない。タケウチも似たようなもんだとモニターの中で言っていた。しかし向こうは婆ちゃんを介助しなくちゃならないから、きっと俺に合わせて方便を言ったんだ。俺の世界は今、気持ち悪い両親とパソコンの向こうのタケウチだけで構成されている。それでも手に余る。要らないものが多過ぎる。 必要なものがない。 だが必要なものはない。 「江莉子ちゃんに会ったよ」 江莉子は県会議員の娘だからちょっと高慢だ。でも仲良くなれば結構いい奴だから俺は江莉子のことが、多分、好きなのだ。さらさら鳴る黒髪に悪戯で指を通した時、俺は気付いた。俺はその夜中々眠れなかった。 江莉子は楽園を求めていた。だからいつも憂いを帯びた目をしていて、俺は見る度寂しいような悔しいような気分になる。 奴は馬鹿だ。この地上の何処にもユートピアなんかない。そんなものは幻想に過ぎないのに、この世に甘んじる俺たちを見下している。 タケウチが来てから、余計にそれは激しくなった。江莉子はあいつを楽園からの使者と勘違いしているのだ。あいつはただの半端者だ。もう何処でだって、暴動なんか起きちゃいない。なのに都会に帰ろうとしない。おかしいじゃないか。 しかしユートピア思想も大分流行りものらしい。江莉子ばかりが馬鹿とも言えない。薄ら馬鹿のような連中が世にごまんと居るのだ。そしてきっと俺もその中のひとりだ。だから二十年に一度にこんなにも脅かされている。 「美人だね。お前のこと話した」 俺は俺の悪徳を嫌になるくらい自覚している。話されて楽しいことなんてない。 「馬鹿な幼馴染みだって。いいね、そういう関係」 お前は何もわかっちゃいない癖に。時が経てば幼馴染みなんて関係は自然に構築されていく。問題は馬鹿の方だ。あいつは俺を厭い憎み忌み嫌っている。俺の悪徳を誹り罵り軽蔑している。それが馬鹿の一言に凝縮されている。情あっての馬鹿ではない。何故ならあいつは江莉子だからだ。 だが俺はもう江莉子の声すら思い出せない。 「俺のこと好きだって言うからさ」 江莉子が美人であったか定かでない。 「実は」 美化した思い出に縋り付いているだけだ。 「昨日ね」 モニターに映った俺の顔が醜く歪んでいる。確かに、変な顔してるな。 ● 爺さんは無抵抗だった。最初こそ口にガムテープを貼っていたが、あんまりにも無抵抗だから気の毒になって今は外している。 俺が喋らねえと波の砕ける音と海鳴りだけが廃墟になった海の家に響いて、寒々しい。海ってこんな場所だったかな。盛りを過ぎれば忘れられたも同然なのか。 「爺さん」 耐え切れず口を開く。 「婆さんどうしたんだよ」 爺さんは椅子に括り付ける縄に身を預けるようにして、俯いたままだ。 「おい」 ぴくりともしない。 「爺さん、死んだか?」 「ああ」 「生きてるわ。いい加減にしろよ。逆らったら殺すからな」 「ああ」 「理解出来てんのかよ。ボケた振りすんな」 「ボケる歳に見えるのか、糞餓鬼」 喋ったと思ったらこれだ。銃向けられた人間の態度じゃねえよ。最近の爺さんの度量はどうなってんだ。狂ってんのか。 仲間が戻るまであと三、四時間はある。へましたら無線に連絡が入るようになっている。 順調に事が運んでいるのか気になるが、俺の役目は爺さんの監視だ。一番楽で、一番面白くねえ。おまけに俺は銃なんざ撃ったことはねえから、屈強な爺さんに抵抗されても撃てる筈がない。度胸が足りない。出来るなら人殺しは御免だ。下っ端から脱却出来ない気がしてきた。 希望はないし、先はない。来年訪れる死までの冒険に過ぎないから、下っ端でも何でも構わない。一期は夢よと聞いたから、先人に倣うことにした。俺の人生にオチを付けたいんだ。逃避でも悪足掻きでも暇潰しでも、どうとでも名付ければいい。台詞のひとつもなく主人公に撃ち殺される奴、あれが俺だ。 その志のない下っ端に教えられている情報なんか皆無で、この爺さんがどんなに凄え奴なのかも全くわからん。俺にはただの、元漁師のおっさんにしか見えねえが。 「煙草吸うかよ」 「ハッカは」 「ハッカ?」 爺さんは呆れたように鼻から長い息を吐き、またむっつりと黙り込んだ。ハッカって何だっけ。首を傾げながら火をつけて、唯一開け放した厨房の小せえ窓に向かって煙を吐き出す。 そろそろ陽が沈み出す時間帯だ。月が海から昇るものかわからん。夕陽が沈んでじゅっと鳴る、とかいう詩的な表現は古典の教科書で餓鬼の頃読んだが、月が昇っても何も鳴らねえだろう。あの衛星は多分冷たい物質の塊だ。真昼の青空に霞む月に、俺は触れたことがあるような気がした。まともに見たことすらない癖に。 しかし、二十年に一度なのか。やばい依頼を熟しているとは思えない程ぼんやりとした頭でふと思い出す。二十年生きてきて、最初で最後の二十年に一度だ。そう言われると見たくなくなるのが俺だ。 今日は、見れるだろうか。 「爺さん」 返事はない。 「外見る?」 「いい」 「何で。もう見納めかもよ?」 「あんなもんは見ても虚しくなるだけだ」 そうか。こいつは知ってるんだ。おれの知らない二十年前を。 でももう二度と、二十年に一度は来ないんだ。地球が終われば、あれも終わる。共に死んでいくあれに思いを馳せたって、無理もねえよ。 俺が生まれた頃は地球の何処も、暴動やら犯罪やらで荒廃していた。なのにこの一年は、俺たちも最後に輝いてやろうぜなんていうチープな文句が流行して、俺の知らない日常が取り戻されつつある。理由は阿呆臭いが、結果オーライだ。いかれた商いがマイノリティである世の中を守ったのだから。 「ロマンチックな爺さんだな。ただ在るものをそのまま受け入れればいいんだよ」 「欺瞞だ」 「悪いかよ」 「偽物だ」 爺さんは言葉が足りない。俺がわからねえのを承知で言ってるんだ。爺さんと俺の言語は違う。爺さんはハッカを言い換える為の語彙を持たねえし、俺はそれを理解する為の基盤を持たん。同じ環境に生きたってそういうことはある。 俺と爺さんの間には深い溝がある。越えられねえ壁がある。 越えてどうすんの。 「偽物の何が悪いんだよ」 「わからんのか。哀れな若者だ。希望を持て。自棄になるのが格好いいと思うな。生きろ。お前はまだ生きている」 「ケンシロウ?」 「ああ」 温厚な俺もちょっといらいらしてきた。優位に立つのは俺の筈なのに、何だか爺さんの手玉に取られているような気がしてならない。 「爺さん、あんたずっとそんなんなのか」 「ああ」 「子供に嫌われてたろ」 「だからこんなことになっても、心配されない。気楽だ」 爺さんは自嘲臭い笑みを浮かべる。とうとう笑いやがった。己の生殺与奪を握る人間が眼前に在りながら、だ。 「あんた狂ってるよ」 「昨日もそう言われた」 「誰に」 「娘に」 「何で」 「婆さんを殺したからな」 俺は何だかでかい声をあげて一歩跳ねるみたいに退いた。ぴょんっと。漫画みてえに糞真面目に飛んだ。 「嘘だろ」 「つまらん嘘だな」 「まじかよ」 「事実ではある」 感嘆の息が洩れた。俺の予想の斜め上を行く爺さんだ。やはり被害者と加害者なんてコインの表と裏なんだ。状況と契機でどちらにでもなり得る。転び方次第だ。今回偶々俺が加害者、爺さんは被害者になった。頭ん中で十円玉がぐるぐる回る。 「動機は」 「嘱託殺人だ」 「食卓?」 「頼まれたんだ、婆さんに」 「頼まれたからって殺せるかね?」 「銃なんか握っておいて、随分情け深いな」 「違えよ。可能か不可能かじゃなくて、人に頼まれたからって人生棒に振るようなこと出来るかってことだよ」 爺さんは一瞬目をかっ開いて、頷きながら俺の顔をしげしげ見つめてくる。俺は何かおかしなことを言っただろうか。至極真っ当だと思う。犯罪者の耳には痛いか。 「お前はどうなんだ」 耳に痛いご意見だ。 「俺はあれ。若いからいいのよ。分別の付かねえ若者だから。格好よく死んで、終わるよ」 「笑いごとじゃない。お前の先を考えろ。真剣に。大事なことだ。お前はまだ生きてるじゃないか。テロリスト気取ってどうする?」 テロリストじゃない。偶然俺たちに破壊活動の依頼があっただけだ。俺たちはただの、諦観した振りしたチンピラ集団なのだ。 今回の依頼だって、金目的で受けたわけじゃない。何かでかいことをやってから死にたかっただけだ。 「あんたに説教される筋合いはねえよ。人殺し」 むかつく爺イだ。俺のことは俺が一番よく知っている。どうしようもないって気付いてる。どう足掻いても行き着くのは、来年の終末ではないか。他の連中が日常に、二十年に一度に逃げるのと同じように、俺は捨て鉢な方向に逃げてんだよ。 怖かったんだ。俺の知らない平和の元で生きていける自信がなかった。なら死に逃げる方が、ずっと楽だ。 「人殺しの含蓄ある言葉だと思えないのか」 「頭沸いてんのか、爺さん」 こいつは刑期を終えてんだろうか。頼まれて殺ったんじゃかなり酌量の余地があると思うが、爺さんにやつれた様子が全くないから刑務所暮らしも疑わしい。全てはたった一週間前の出来事で、逃走五日目くらいだったらまだわかる。それでこの精神状態なら、やっぱり爺さんは狂っている。 あと三時間もこうしてふたり切りなんて、最悪だ。失敗でも何でもいいから連絡はないもんかと無線機に目を遣るが、それで鳴る筈もない。順調なら、結構。 煙草はろくに吸わないまま燃え落ちていた。長い溜め息を吐きながら痛んだプラスチックの椅子に腰掛け、もう一本火をつける。ハッカって、あれだろ。飴だろ。俺あれ嫌いなんだよな。爺さんは煙草より飴が欲しかったのか。 「一本寄越せ」 爺さんもちょっと気まずいのかも知れん。タイマンの距離感というのは繊細だ。しかしもっと被害者然としろよ。 「ハッカじゃねえぞ」 「それがいいんだ」 「いや、ハッカって何だよ。飴?」 「違う。女の吸うのあるだろ」 「あ、何。メンソール?メンソールじゃねえよ。何だ、ハッカってメンソールかよ」 言語の壁を越えた。まさにメンソールの清涼感。そうかそうかと納得しながら腕だけ解いてやる。 「いいのかよ」 「逃げねえだろ」 「人殺しだぞ」 「何とか殺人なんだろ。いいからもうさ、ほら、ライター」 「つかん」 「何か上に突起あんだろ。それ押し込みながらつけろよ」 「あ?」 「手の掛かる爺さんだな」 必要以上に近寄って火をつけると、爺さんの口角が微妙に持ち上がる。心内が透かされたような気がした。やっぱり縛っておけばよかった。 爺さんは思い切り煙を吐いてから、悪いなと悪びれずに笑う。こいつを虜と思うのはやめよう。こいつは近所の老人だ。殴られたら死ねるくらい逞しい、ただの人殺し老人だ。泣きたくなってきた。 小屋いっぱいに煙を満たし、いい加減に月が出るかとふと思う。味の素の主成分よりもどうでもいい存在が、今日はやけに気に掛かる。生来の気質なんだろう。久々の静かな夜に感じる寂しさを、もっともっと寂しいもんに託して誤魔化したいんだ。煙草がいつもよりも早く燃え尽きてしまったような気がした。 爺さんの腕をまた縛らねえと、と頭の端では思いながら背もたれに身を預けて煙の消えて行くのを眺めていた。窓から差す光を受けて濁って揺らめく煙は美しい。 ゴミも塵をも輝かせる光は尊い。でも本当はゴミも塵も人が作った概念に過ぎない。そのどちらもが真実だ。 「ああ、嫌だ」 アンニュイな思春期はとうに卒業したのに。思考法が変わっていない。それが美しいものだとさえ思っている。 「嫌だろうな」 「嫌だよ。俺は間違ってないよな?」 「自分で判断しろ」 「してるよ。でもわかんねえんだ」 「客観的に見れば、今のお前は自棄糞って言葉を借りて前を向くことから逃げている臆病者だ」 「どうせもう前なんかねえじゃねえか。地球滅亡するって、爺さん知らねえのかよ」 「しないさ」 「は?」 埃を掻き乱したような雑音が鳴る。散々ざあざあ言ってから、小さな声がした。先輩の声だった。反射的に立ち上がる。 「は、はい」 『ああ、糞。内田がとち狂った。ミサイル全部無駄撃ちしやがったわ』 先輩の荒い呼吸がうるさくて聞き取りにくい。必要以上に危機感を煽る。 「い、一発もないんですか」 『ない。達成は不可能だ』 「ど、どうするんですか。そんなこと」 『お前にしか出来ない。頼まれてくれ』 「は。何をしたら」 『何でもするか』 「今更何です」 『よし、死ね』 「何ですか?」 『死ね』 「し?」 死ね、と先輩は繰り返した。 『俺たちの役目はもう終わりだ。こんだけ暴れておけば依頼人の言う反体制的暴動ってやつはクリア出来たんじゃないか。あとはもう一息だな』 何を言っているのかわからない。既に失敗したんじゃねえのか。 『依頼の目玉だ。衛星管理棟の破壊だ。あれさえ壊れればミッション達成、その混乱に乗じて俺たちも逃げられる。悔しいが最終手段だ。死ね』 「意味が」 『爺さんを脅せ。俺たちはもう遣り切った。衛星管理棟を破壊しろと』 「それで」 『あとは爺さんに任せろ。どうせ俺たちは来年死ぬんだ。今更何びびってんだよ。死は誰にでも訪れる。生と死にボーダーはない。お前いつも言ってただろ?死にたいって。今がその時だよ。俺たちもどうせもう直ぐ逝く。心配するなよ』 そんな言葉が聞きたいんじゃない。唐突に過ぎる。手に汗が滲む。 『わかったな。お前に任せたからな。今生の別れだ。頼んだぞ』 「は」 『頼んだぞ』 「はい」 ぶつり、と通信が途切れた。先輩が切ったんだろう。切れたわけじゃない。切ったのだ。俺に全てを託した。押し付けた。 「爺さん」 「残念だったな」 「わけわかんねえんだけど」 「笑いごとじゃない。お前のことだ」 爺さんは目を細めて俺を睨む。頭が回らねえ。だらしない笑いが口を突いて出る。 「あんた何なんだよ」 「人殺しの超能力者だ」 「ここに来てエスパーとか、ねえだろ」 「最初からエスパーだから仕方ない」 「何が出来んだよ」 「物体と人間を同調させて破壊する能力だ。人間がリモコンになって、それを殺せば物体は壊れる。逆も可能だ。だから人殺しの超能力だ」 「嘘だろ」 「つまらん嘘だな」 「まじかよ」 「事実ではある」 先輩はハナからこのつもりだったんだ。だから俺をここに配置した。下っ端の使い捨てだから。ムードに流されて先を捨てる馬鹿だから。 そもそも作戦にだって無理があった。内田さんがしくじらなくたって、俺たちみたいなチンピラが武器持ったところで、何が出来るんだ。 先輩たちは始めから、集団自決がしたかっただけだ。俺と変わらない。行動的だっただけだ。俺よりもずっと現実的なスピードで、先輩たちは格好よく死のうとした。 「で、俺を殺して管理棟を壊すってことか。信じらんねえ」 「何がだ」 「全部だよ。馬鹿じゃねえの。何で俺に任すの。俺は誰にも知られねえまま爺さんに殺されんだ。超能力爺さんに」 「超能力は信じるのか」 「信じたくねえよ」 こんな汚ねえ、何処にでも居るような爺さんが超能力者だなんて信じられない。 「なら信じるな。超能力なんか存在しない」 「どっちだよ」 「お前が決めろ。死ねば本当かわかるぞ。死んでみるか」 冗談なのか本気なのかわからない。冗談だって関係ない。俺は死なねばならない。俺は託されたんだ。どうせ捨てた命。今更惜しいか? 「汗だくだぞ」 「涙だよ。毛穴から涙が出てんだ」 「何で」 「こんな死に方するだなんて思ってなくてさ」 「死にたいのか?」 爺さんはいつの間にか脚の縄も解いてやがって、俺の座っていた椅子にもたれて首を傾げる。 「どうなんだ?」 どうせ消える命。今更惜しいか?名残はない。ここで死に損なえばまた苦しむ。それでも俺は思ってしまう。 「・・・・人生左右する結論出すには早急過ぎねえか」 「同感だ。お前は何もかも早過ぎるんだ」 「でも先輩たちが待ってる」 「お前自分で言ってたじゃないか。人に頼まれたからって人生棒に振れるかよって」 「逃げろって言うのか」 「逃げて何が悪いんだよ。赤穂浪士って知ってるか。忠臣蔵の。あれにはな、討ち入りの直前に逃げたって言われてる奴が居るんだ。不義士とか言われたりもするけどよ、だからなんだよ。討ち入り果たして人殺して、腹切った奴が偉いのか、生き延びた人間が悪なのか。誰が結論を出せる?」 「自分だ」 「そうだろ?」 「乱暴だな」 歴史の話すりゃ説得力になると思ってやがる。それでも俺を励ますのは、きっと、俺がその言葉を強く欲していたからだ。何処までも日和った下衆だ。それでもまだ、生きている。 爺さんはおかしそうに笑って、追い払うように手を振った。 「遠くに逃げろよ。衛星管理棟が無事な限り、お前は無事じゃ居られないだろ。ぶっ殺されるかも知れないぞ。例の先輩らに」 「爺さんは」 「いいから早く行け。生きてる内に」 急かされるまま身ひとつで、風化しかけた木の戸を開き砂浜を踏む。静かな潮騒が仰々しく響く。遥か遠く、青い海の上に船が一隻浮いていた。見知らぬ街に放り出されたような心細さがどっと襲ってきて、暫く歩けずに居た。 ポケットに手を突っ込んで、一本切りになった煙草に触れる。ライターがない。小屋に忘れたらしい。ライターごと爺さんにくれてやろう。つけられないだろうけど。振り返り、再び戸を開けた。 「爺さん、餞別だ」 「あ?」 「は?」 窓から差す陽光に遮られてシルエットだけになった爺さんは、間抜けに口を開いたような気がする。 「戻るの早いだろう。折角格好付けたのに」 不服そうに呟いた手に、見覚えのあるものが握られていた。 「俺の」 「物騒なもん忘れて行くなよ」 「何してんだ」 「自己犠牲ってのが好きじゃないんだ」 「は?」 「後悔してるんだわ。婆さんを殺して隕石を壊して、孫の生きる世界を守るよりも、婆さんと一緒に死を待つ方が俺はずっと幸せだったろうってな」 「え?」 「でも婆さんは心から、自己犠牲を望んでた。羨ましかったよ。俺なんかは、生きてる方が尊いって、そうとしか思えないんだ」 「それでいいじゃねえか。なあ」 爺さんの口唇が俺の知らない誰かの名を呼ぶ。 「餞だ。これでちゃんと本物の月の下で、大手振って歩けるな。そういう生きてる感触を大切にしろ。土の匂いとか、旨い飯とか。もう夕食時だな。腹が、減らないか?」 手元が弾けるように光って、俺の背後で何かが弾けた。不意に瞑った目を開けた筈なのに、何故か煙草と硝煙の混じった臭いが鼻を突いただけだった。闇の中で手をおろおろと振り回して、小屋の扉を何とか開ける。 青白く冷たい砂浜を、掌で踏み締める。俺の知らない冷たい光が、砂浜からゆっくりと小屋を侵していく。長かった今日が、 「終わった、のか」 仰いだ空には二十年に一度の。 ● 「実は昨日ね、江」 かちんと音が鳴って、ネットワークが切断された。モニターを睨む変な顔の俺と目が合ってしまった。溜め息を吐いてモデムを少々いじるが、通信が再開される様子はない。 窓に目を遣れば目を瞑ったような暗闇。街灯ひとつついていない。当然だ。二十年前からあれはオブジェだった。 地球の終わりが前倒しされたのか。しかし家々の灯りは消えていない。衛星がやられたのかも知れない。 終末騒ぎで起こる暴動を鎮める為に政府がとった対応が、人工衛星による統制だった。全てのネット回線はひとつの人工衛星を通り、二十四時間体制で危険分子を排除する監視が行われている。また夜の闇に乗じて行われる犯罪の数を鑑み、その衛星に照射機能を搭載した。 夜でもまるで昼のように明るい。 恐怖だった。狂気だった。 でも直ぐに順応した。夜なんか邪魔にしかならないくらいの奴も居る。忙しない風潮が根付いていたから。 歴史の教師は二十年前の日本をそう語った。寂しげに、目を細めた。 どうも夜が来たらしい。 鍵を開き、階段を下る。慌ただしい声が飛び交っている。俺を見ると、的を絞った蜂みたいに突っ込んでくる。 「悠、衛星管理センターが爆発したって」 「おい、これからお義母さんの法事だろ。どうするんだ」 「で、出来るわけないから!こんな暗いのに、出歩けないでしょ!」 「ヒステリック起こすな!落ち着け」 「ああ、あの気狂い親父の所為!何処行ったのよ、早く捕まって、死刑にでもなればいいのに!」 「おい、悠の前でそのこと言うのはやめようって」 下駄箱に手を突っ込む。革の匂いを避けて、真新しいスニーカーをしっかりと掴む。 「悠!何処に行くの、悠!」 「危ないから出るな、こら!」 暗い。暗い。明るい。明るい。 俺の知る闇も光もこの夜にはない。 とうの昔に失われた静謐に俺は在る。 変にほっとするようで、焦燥はなかった。 冷たい地を踏み、俺はゆっくりと丘を昇る。 黒の中に浮かぶ円はやっと光を取り戻す。 二十年に一度の大接近の迫力で以て。 少しだけわかったような気がした。 あれは確かに、届かない楽園だ。 息を荒げて、丘を駆け上がる。 履き慣れない靴の違和感。 生きているその感触。 「久しぶりだね、悠」 穏やかな今日が、 「久しぶり」 始まる。 ● fall■おわり
by caramel_box02
| 2012-06-21 20:35
| みっじかいの(縣)
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