最後の一人

 インフルエンザの流行で日本の人口が半分になった。なんだか知らんが俺たち人間の肉体は、元々インフルエンザには耐えられないようにできていたのだ。俺たちに与えられていた執行猶予の期限は切れた。それだけだ。
 友達も好きな人もアイドルも死んだ世界にそこまで興味が抱けなくて、俺はマスクも付けず街中をブラブラしていた。結構道端に死体が転がっていたりして精算な光景だが、ここまで致死率が高いと逆に蔓延していないのではとも思う。
 その男に声をかけられたのは、自販機でぬるいコーヒーを買っていたときだった。

「マスクは?」

「いらねえ」

「すごいな。もしかしてホモ・サピエンスか」

 やばいなあ、と思った。インフルエンザは脳も侵してしまうらしいから、この男も可哀想に脳をやられているのだろう。

「まあ、人間ですけど」

「いや、人間は俺たちのはずだった。君はうまいこと生き残っていた旧人類なんだな。こんな風に出会うなんて驚きだ」

 男は真っ青で、今にも死にそうにふらついていた。

「参ったよ。旧人類の肉体を乗っ取り入れ替わっていったのはいいが、このざまだ。おかげで我々は滅びようとしている」

「はあ」

「君のような旧人類がまだ残っていたのなら、ヒトはあるいは滅びないのかもな」

 


# by caramel_box02 | 2019-03-06 19:37 | みっじかいの(縣)

ふたりきりバベル

 バベルの塔は神様が思っていた以上に木っ端微塵になった。俺たち人間はひとりにひとつ、違った言語を獲得して生きる苦悩を背負わされたのだ。

 親が子に言語をインプットする以前に、赤児の脳には個人語が組み込まれている。この個人語というのは俺が勝手につけた言葉で、俺だけが便利に使っている。

 親は教育の過程で、子の持つ個人語を理解しすり合わせていかなければならない。親にとっての「ママ」が「母親」を意味しても、子にとっては「早めに首を吊って死ね」の意味であることもあるのだ。

 俺たちの一生のほとんどはそうして、他人の言語を理解することに費やされる。人間の遺伝子は古来から、偉い人が何とか男と女をペアにしてセックスさせることで続いてきた。

 俺の両親は、家庭内でほとんど会話をしなかった。誤解を恐れていたのか何なのか今でもわからないが、どこの家庭でも似たようなものだろう。


 ――神保町は紙束の街だ。人々はここに黄ばんだ紙の匂いを嗅ぎに来る。彼女と出会ったのは、一層黄ばんだ紙束の店の中だった。

 俺は嬉しそうに紙束をめくる彼女の横顔に、妙にぐっときてしまった。声をかけねばと思っても、俺から出る言葉の意味を彼女は知らない。傷つける可能性だってある。

 それでもいても立ってもいられず、俺は紙束をひとつ手にとってぺらぺらとめくった。そしてその中から、俺が「犬」として認識しているものを見つけて彼女に見せた。

「これ、犬です。犬」

「****?」

 彼女は困ったように笑った。それがまた最高によくて、俺は何だかんだと喋りかけ続けた。

 彼女にとってのロバが犬だとわかるまで、1時間かかった。俺の名前を理解してもらうまで、1ヶ月かかった。結婚してくれないかと伝えるまで、3年もかかった。

 彼女は目に涙を浮かべ、うなずいて言う。

「早めに首を吊って死ね」

 一瞬で顔面を蒼白にさせた俺に、彼女は思い切り抱きついた。


# by caramel_box02 | 2019-03-06 19:31 | みっじかいの(縣)

ルナティクス

 加藤の遺影はよく撮れていた。クラスでも目立たない地味な女だったが、こうして見ると美人だ。惜しい人を亡くしたと急に思う。
 そういえば、一週間前は新月だった。だからかと俺は思った。

 彼女が俺の前に現れたのは、それから一週間後のことだった。家には数人の友人が遊びに来ていて、皆思い思いに過ごしていた。便所に行くために部屋を出ると、彼女はそこにいた。
「加藤?」
 なぜ一瞬でそれがわかったのか不思議だった。彼女はひっつめていた髪をほどき、上下赤の服を着ている。
「何で俺んちにいるんだ?」
 へらへら笑いながら言うと、加藤は無言で俺の手を取った。
「私もね、友達とパーティーしてみたかったの」
「パーティー?鍋パとか?」
「そう」
 加藤の笑顔に俺はヤラれてしまって、死人だってことも忘れて手を引く。
「いいよ。中入りなよ」
「トイレはいいの?」
「別に漏らしたって誰も何も言わねえって」

 自室に戻ると、友人たちはテレビのニュース番組を見て爆笑していた。
「やめろよお前ら。加藤が怖がるだろうが」
「加藤?誰?」
「こないだの子でしょ」
「ああ、死んだ子」
 やはりこいつらに加藤の姿は見えていないらしい。それもそうかと思いながら、腰を下ろす。加藤は俺の隣りに座った。
 ちょうどよく、テーブルの上には鍋があった。土鍋ではなく、なぜかドラム缶のような寸胴鍋だ。ぐつぐつと煮え、湯気が立っている。
「俺が取ってあげるよ。何食う?」
「じゃあ、お肉」
 皿を手に、肉をつまむ。鍋からはずるりと赤い大きな肉が現れた。
「ごめん加藤、まだ煮えてないみたい。他のにして」
「じゃあ、野菜で」
 野菜をつまむ。緑色の葉っぱが取れた。汁を吸って美味そうだ。
「はい。他には?」
「お餅は?」
「あるかな」
 鍋をかき混ぜるようにして、底を探る。大抵餅というのは、鍋の底に焦げてひっついているものだ。
「なさそう」
「そう?ちゃんと探した?」
 そう言われると不安になって、鍋を覗き込む。どろどろとした汁の中に、白いものが見えた。
「あった」
 箸でつまみ、持ち上げる。それは俺のスマホだった。
 よかったねと加藤が笑う。よかったと俺も笑った。

「ちょっと二人きりにならない?」
「いいよ。庭出る?」
 ブルーシートをめくって部屋の扉を開け、二人で手をつないで庭に出る。機械音もなく、温度調整もされていない庭は静かで涼しい。
 加藤は庭で、踊るようにくるくると回った。明るい満月の下で見る加藤は、やはり美しかった。
「ねえ」
「うん?」
「どうしてお葬式に来たの?」
「元クラスメイトだろ。もう十年前のことだけど」
「それだけ?」
 加藤はいつの間にか、俺の正面に立っていた。まるでキスでもするかのように顔を寄せられて、俺は彼女の顎を掴んだ。
 唇が触れ合う。死人の彼女は冷たく、鉄錆の味がした。
「好きだから」
「嘘つき」
「でも結構クラスのやつ来てたよ。隠れファン多かったんじゃないの」
「違うよ。私の死体が見たかっただけ」
 彼女はひらりとスカートを揺らしながら、姿勢を戻した。覗く脚には、切れ目のような傷が残っていた。
 服の裾に手をかけ、ちらりとめくる。
「だって、誰でも見たいでしょ?」
 絶対に見たくない。わかっているはずなのに、俺の鼻息は荒くなっていた。
「見たい」
「いいよ。君にだけ、見せて」
「何してんだ?」
 背後から友人に声をかけられて、肩が跳ねるのと一緒に小便を漏らした。生暖かい液体がズボンを濡らしていく感覚は、この状態でも不快だった。
「きったねえ。そんなんだからあんな女にラリってんのバレたんだよ」
「加藤は?」
「お前が殺しただろ」
 そうか、と呟く。そうだった。俺はポケットからスマホを取り出した。血溜まりのドラム缶の底に落ちても、スマホはぶっ壊れちゃいなかった。
「美人だったんだよ」
「そう」
「本当だよ」
 今気づいたんだ。俺がそう言うと、友人は吸っていた紙巻たばこを俺の腕に押し当てた。それで漸く、新月の下で死んだ加藤の幻は消えた。



「餅と鍋」「月」というお題から。

# by caramel_box02 | 2018-11-23 15:19 | みっじかいの(縣)

家庭用死者蘇生装置

 うっかり眼鏡を踏み割ったのとはわけが違う。それでも妻はあっけらかんとしていた。
「洗濯物運んでたんだから仕方ないって」
 妻は先端のない右腕で、ソファーに項垂れる僕の背中を軽く叩く。
「落とした私も悪かったし」
 薄っすら濁った目を眇めて、顎に手を当てる。生前と何ら変わらない仕草だった。

 妻は僕の目の前で死んだ。ずば抜けて賢い彼女は生まれつき身体が弱く、次に発作が起きれば助かる確率はほぼゼロだと医師に宣告されていた。
「君の死ぬ前に死ねるなら、いいかも知れない。出来れば一緒がよかったけどね」
 妻は生前、あろうことかにっこりと笑いながらそう言って、僕を怒らせた。
 終わりは大抵劇的ではない。腕を叩かれて目を覚まし、慌ててベッドから身体を起こすと、隣で眠る妻の呼吸は既に止まっていた。心臓マッサージと人工呼吸を、何度も何度も行う。後で話を聞くと、30分以上そうして居たらしい。
 インターホンが鳴るのが聞こえて、ふらつきながら玄関扉を開ける。そこには医者風の白衣を着た男が立っていた。
「お待たせ致しました」
「はあ」
「‥‥奥様がお亡くなりになられたのでは?」
「はい」
「では失礼致します」
 男はそう言って、ずかずかと寝室まで入ってきた。すっかり上りきった朝日に照らされる妻を見て、急に嗚咽がもれた。
「おい、やるぞ」
 白衣の男はぼくの背後に声を掛ける。すると無遠慮な男どもが数人進入してきて、妻を取り囲んだ。
「何をする気だ」
「奥様から何もお聞きでないので?」
「時間がありません。博士、早く」
 その作業もまた、僕の目の前で行われた。
 妻の腹が糸のようなメスで開かれ、中から黄色い脂肪の付いた腸が取り出される。男たちはそれを慣れた手付きで容器に入れ、次々に内臓を抜いていく。僕は次第に、これは夢だろうと思い始めた。夢から醒めようと考えている内に失神し、ソファーの上で目が覚めた。
「おはよう」
 妻が何かの冊子に目を通しながら言う。
「よかった。酷い夢を見たよ。君が死んで、変な男たちに解体される夢だ」
「聞いたよ、目の前で見たんだって?それは流石に倒れるって。仕方ない」
 その冊子には、『家庭用死者蘇生装置ゾンビナ~ル テスター用』の文字があった。

 妻は1年ぶりにその冊子を取り出して、あの日と同じように読む。
「右手3万円か。案外安いな」
「でも君の、その、生まれつきの手じゃなくなるんだろ」
「私の半分はとっくに生まれつきのものじゃない。今更気にしないよ」
「でも何で右手が落ちたんだ?メンテ不足?」
「まさか。君が毎日見てくれてるんだから、それはない」
 この1年間、彼女の身体に異常があったことはない。それでも僕は素人だから、自信があるわけでもなかった。
「やっぱり君の友達とかご両親とかにも、メンテナンス方法を教えておいた方がいいよ」
「またか」
 妻はその話をするたびに、眉間にシワを寄せる。彼女のことを考えればそれが1番なのに、何故かそこだけは意地でも聞かない。
 『ゾンビナ~ル』の契約を独断で行ったように、妻は僕を蔑ろにするところがある。確かに彼女よりも頭は悪いが、一応彼女の夫だというのに。
「毎日やってても今朝みたいに手が落ちたりするんだ。僕に何かがあったら、幾ら不死の君でもぼろぼろになるだろ」
「そうかも。何しろ私が世界で唯一のテスターだからね、不測の事態もありうる。メンテナンスを怠れば、死ぬ可能性だってある」
「なら尚更」
「大丈夫だって。悪いけどコーヒー淹れてくれない?右手がなくてさ」
 幾ら睨んでも聞かないのは知っているから、溜め息をついて立ち上がる。彼女が生前と変わったのは、苦手だったコーヒーが飲めるようになったことだけだ。
 それ以外は何も、変わっていない。
「もう落とさないでくれよ」
「わかったわかった」
 彼女はブラックコーヒーに口を付けて、にっこりと笑った。




「右手が落ちてる」のお題をいただいて書いたもの。

# by caramel_box02 | 2018-11-23 13:36 | みっじかいの(縣)

選んだ鞄

 第四次世界大戦が終わり、世界の人口は一割減って居住可能地域は半分になった。
 日本も例外ではない。俺は瓦礫となった家から鞄と布団だけを引っ張り出し、段ボールで雨風をしのぐ生活をしていた。ここにいれば、一年ももたないかもしれない。そう思いながらも、俺には行く宛がなかった。
 居住不可能地域には、俺の他にも住人たちがいた。彼らは商店街に屋台を出し、食料やら生活必需品やらを売っていた。
 売ると言っても、政府は機能していないから金銭のやり取りではなく物々交換だ。俺の布団はサバ缶十個になった。鞄に入っていたノートや筆記用具の類は全然売れなくて、段ボールの上にただ横たわる日々が続いた。
 死の恐怖はない。このまま飢えて、頭が働かなくなり死んでいくのだと思うと、そこまで悪いことではないと思った。

 最後のサバ缶を食べきり、商店街に筆記用具と鞄を並べてうつらうつらとしていた時だった。そばに人の気配を感じて目を向けると、そこには見知らぬ男が立っていた。男は表紙に名前の書かれたノートをしげしげと見ている。
「これをくれますか」
「何と交換」
 かすれた声で、やっとそれだけ言う。
「このペンもセットで。これと」
 男はコートのポケットから、ビニール袋を出した。中には、白い米粒が入っている。三合ほどだろうか。
「いいよ」
「ありがとう。ちなみに他にはない?」
「その鞄とか」
「じゃあそれも。追加でこれ」
 更にもう一袋、米が追加された。
「こんなにいいの」
「いいですよ」
 どう考えても、この米の量に見合うものではない。俺は何か騙されているのだろうか。
「また何かあったら、持ってきてください」
 あったらと答える俺に男は嬉しそうに笑い、鞄に筆記用具を入れた。
 米を分け与える条件で飯盒を借り、俺は瓦礫の中で一人久しぶりの白米の味に泣いた。ずっと考える余裕のなかった家族のことを思って、その日は寝た。

 翌朝、俺は家のあった場所から四角い木の箱を掘り当てた。持ち手がついた、木の鞄だ。
 それだけを持って商店街に戻ると、男はまた現れた。
「本当に持ってきてくれたんですね」
「あったから」
 男は中を見て、じゃあこれをと米を三袋渡した。
「そんなに価値が?」
「僕にはある」
「この米はどこから?」
「実家から送られてきた。美味しかったでしょう?」
 わけがわからないが、俺は生き長らえたらしい。しかしあいつは貴重な食料とガラクタを交換して、自殺願望でもあるのだろうか。そんな疑問も湧いたが、米が食えればそれでいい。

 次の日も、俺は瓦礫を漁った。ろくなものは見つからず、紙束が数十枚出てきたくらいだ。
 だが男はそれを見て、今までにないくらいの食いつきを見せた。
「信じられない!どうしよう、どれだけ払えばいいですか?」
「待ってくれよ。俺はその紙束の価値がわからないんだ。だからいくらになるのか、まるでわからない」
 じゃあ、と男は俺が譲った鞄を渡してくる。中は小分けにされた米や水などの食料でぱんぱんになっていた。
「僕が今持っている全部の食料です」
 欲望と理性を天秤にかけたら、案外軽々理性が勝った。
「貰えるわけないだろ。たかが紙束の」
「たかが?」
 男は、初めて不機嫌そうな表情を見せた。そして俺の手に、鞄を押し付ける。
「こんな状況だから、それどころではないから、腹が減っているから。そう思ってました。でもあなたはもしかして、最初から興味がなかった?」
「興味なんか持つはずないだろ。どうでもいいんだよ」
「先生が可哀想だ」
 それだけ言い残し、男は鞄を残して去っていった。それから男が姿を見せることはなかった。

 当面の食糧問題を解決し、欲の出た俺は米を払って布団を買い戻した。せんべい布団でもないよりはマシだ。
 男のことは気がかりだったが、名前も知らなければ探しようもない。一週間が経ち、二週間が経った。物々交換が軌道に乗り始め、飯盒の持ち主が死んで俺のものになった。
 人の生き死ににも、自分の生死にも興味が持てない。ただ毎日、ぼんやりと生きていた。
 ふらりと家に戻ったのに理由はない。あの男がいない以上、この家にあるものに価値はない。
 瓦礫の中に、カラフルな棒が突き立てられていた。前はなかったと思いながら引き抜いて、木の枝が変な色に塗りつぶされているのだと気づく。再び瓦礫に挿し、周囲を散策する。
 あんな大戦がなければ、この家は俺のものになっていたのに。大きな瓦礫をどけると、潰れた額縁が出てきた。
 これにはどれほどの価値があったのだろう。俺は亡父の作品に、一切興味がなかった。少しでも高く売れれば、売る先など問題ではない。
 すべては、生きるためなのだ。

 手ぶらで商店街に戻った俺に、住人の一人が声をかけてきた。
「隣町に、立派な絵を描くやつがいるらしいよ。何でも崩れた壁をキャンバスにしてるらしい。行ってみないか?」
 あの男に渡した木の鞄を思い出す。俺が触ると、悪戯をするなと怒鳴られた。ただの絵の具が入っているだけの鞄なのに。
 あいつに渡して漸く、絵に命をかけて勝手に死んだ亡父を許せた気がしていたのに。
「いいよ」
 行きたくも、見たくもなかった。
「どうせそいつは、すぐに死ぬんだ」
 食料の詰まった鞄を引き寄せる。俺にとっては、この鞄のほうがあれよりもずっと重たい。俺は彼らを愚かだと思う。
「幸せなんだろうよ」
 俺の手にはないものを持っているのかもしれないけれど。俺は昨日手に入れたばかりの酒で、口を濡らした。



「お米」「天秤」のお題で書いたもの。

# by caramel_box02 | 2018-11-23 13:36 | みっじかいの(縣)

人間関係ガチャ

 スマホゲームにハマって金を注ぎ込み続けたら、さっきサラ金から督促の電話が来た。でも今はイベント中だからまた後でな。
 記録が残るカードを使うのが何となく嫌だから、アイチューンカードを買う為の金が要る。昨日届いた即日融資を謳う会社の葉書を手にした時、スマホ画面にお知らせが出ていることに気付いた。今ハマっているゲームからのお知らせだ。
 どうやら新しい課金システムが出来たらしい。とはいえ「あなたの人間関係をガチャ石と交換することが出来」るそうだから、課するのは金ではない。意味がわからないが、金以外のものなら出せる。オレは試しに、名前と書かれた欄に大家の名前を入力していく。家賃のことを考えると胃がキリキリした。チャリン。聞き慣れた効果音の後、石が10個追加された。
 10連を回すには石が足りない。試しに、アパートの隣に住む男の名前を入力した。チャリン。聞き慣れた効果音の後、石が10個追加された。
 金を払わなくていいなんて最高のシステムだ。オレは試しに、バイト先の店長の名前を入力した。チャリン。聞き慣れた効果音の後、石が10個追加された。
 人間関係を交換ね。運営の悪ふざけにしてはしっかり作ってるな。オレは試しにバイト先の可愛い同僚の名前を入力した。チャリン。聞き慣れた効果音の後、石が20個追加された。
 鼻息荒く10連ガチャを回す。結果は冴えなかった。だが、どうも「新システム」だとかが導入されているらしい。試してみよう。オレは試しに、高校時代の

 オレは試しに、唯一の友人の名前を入力した。チャリン。聞き慣れた効果音の後、石が100個追加された。
 10連ガチャを何度も回した。パーティーにずらりと高レアのカードを並べると、知らず顔がにやけてしまう。だが、ずっと欲しかったカードがまだ出ていない。あれだけは、どうしても欲しい。
 どうも人間関係を石と交換するシステムが導入されたらしいが、オレには関係がないからただただ憎い。金融会社の葉書を拾って、やたらと小さく書かれた文字に目を通していく。
 借金って、家族も友達も居ない人間でも出来たっけ。オレは溜息をついて、試しに電話を掛けてみることにした。

# by caramel_box02 | 2017-09-08 15:51 | みっじかいの(縣)

つき

鈴木田がにやけ面でじろじろとこちらを見るので、俺は睨んでやる。お前には関係ない、と口の中で呟く。お前は俺の親じゃないし兄じゃないし友人でもない。ただの鈴木田だ。時間の感覚を狂わせた時計だ。つまりは糞の役にも立たない屑だ。
人工太陽サノブリボナ暴走から五十三日。この界隈で生き残っているのは俺と鈴木田と、鈴木田の母親くらいだ。年老いた母親を鈴木田は足手まといと呼んだ。俺はそんな鈴木田が嫌いだった。



あと十六年で、太陽崩御の時は訪れる。最後まで識者たちは論争を続けた。地底深くでフルアーマーを纏い、何十年も語り合っていた。
「私たちは死ぬべきなのだ。太陽の替わりなど、産むべきではない」
「何故無為に死なねばならない。人類は何度も滅亡の危機に頻してきた。その度自然の摂理を曲げても、生き延びてきたではないか。今回だけ特別である理由はない。死ぬというなら、お前はそれを脱いでここを出るんだな」

何十年も、何十年も繰り返した所為で、その間に各国の大企業が力を合わせて人工太陽を作り上げてしまった。言葉は間に合わなかった。時は流れすぎた。
「生まれ変わった太陽」の名を持つその人工太陽は、アメリカのヒューストンから打ち上げられ、宇宙で組み立てられることになった。その間にも地底では言い争いが絶えなかった。だから太陽は殺されて、サノブリボナは打ち上げられた。
ある地域では氷河期が訪れていた。素朴な太陽信仰の根付いた地域だった。太陽が死んだ瞬間にその土地は死んだ。殉死に似ている。神を信じない俺は思った。

しかし俺の上では、死ぬ前と大差ない太陽がぎらぎら輝いていた。古典の研究や映像史料を漁り、俺たちの知る太陽よりも少し若返らせたらしかった。陽射しは柔らかく、透き通っていた。
サノブリボナ打ち上げから一週間経つと、人々は長い戦争から解放されたように活気付き始める。太陽の寿命が明確になってから、世界は混乱し絶望し荒れに荒れた。その世界に生まれた俺は初めて真っ直ぐな母の笑顔を見た。洗濯物を抱えながら俺の失敗に笑う母は少女のようで眩しかった。

俺は学校に行き始めた。人は嫌いで協調も嫌いで元々集団生活に向いてないのだと分析していたのに、何故だか行き始めた。世の中が浮かれていたから、俺の頭も浮いてしまったのに違いない。母の笑顔が見たくて、行ってきますと叫んだのに、違いない。

打ち上げから大体一年経った。俺は学校で幾人かの友人を作って太陽の下でだらだら生きた。平和は尊くて愛しくて慈しむべきものだった。
じゃあな、と友人と別れ、家路を歩く。随分と遊び呆け、陽が暮れかけていた。日が延びたな、とぼんやり思った。前の道から誰かが歩いてくる。見知った男は俺を見て小さく頭を下げた。俺も頷くように挨拶をする。すれ違いかけたところで、向こうは俺に掴みかかってきた。

「何かおかしいと思わないか」
絡まれた、と瞬時に判断し、そいつを突き飛ばした。俺は思い切り手を振るったのにそいつはびくりともしなかった。骨ばった色の青白い手は俺の肩を掴んで放さない。
「聞いてくれ」
そいつは俺の名を呼んで諭した。
「今何時かわかるか」
覗く手首には腕時計が巻かれている。意味がわからなかった。
「二十時二分でしょう」
「やはりか」

何がおかしいのだ。こいつの頭がおかしいのではなかろうか。
「それが何です、鈴木田さん」
「サノブリボナの設定は二億年前の、太陽のあった地球だ」
二億年前の地球、と言った。二億年前の太陽、とは言わなかった。
「二億年前、夏至の太陽は、二十時には沈んでいた」

何を言っているのだろう、こいつは。鈴木田のことはよく知っていた。近所の有名人、という噂によって、よく知っていた。恐慌の只中にありながら働きもせず食いもせず学校にも行かずに本を溜め込んで引きこもっている、と有名だった。幼い頃、俺は鈴木田と遊んだことがあるらしく、鈴木田は会う度俺に中途半端な会釈をした。
だから、俺は鈴木田が嫌いだった。

「よくわからないんですけど」
早く帰りたい。母は俺の帰りを待っている。帰らねばならない。それでも鈴木田は手を放さない。
「だから、今太陽が出ているなんてことは、異常だとしか思えないんだ」
「もう暮れかけてますけど」
「未知の危機が目の前に突き付けられても人間は前例の中でしか動けない」
鈴木田は目を細める。
「明日昇る太陽は屍かもしれない」

俺は舌打ちをして、右拳を目一杯下げた。弾かれた弓のように、俺の拳は飛んで、鈴木田の顔面を射抜いた。そして走り出した。
俺は自宅の階段を駆け下りて、ばさりと布団を頭まで被った。どうしたの、と母の声がする。どうしたらいいのだろう、と思う。人を殴ってしまった。ろくでなしで、変質者で、意味のわからない奴だとしても、殴ったのは俺だ。あのまま死んでしまったら俺は殺人者だ。どうしたらいいんだろう。その日はそのまま寝た。素っ裸の男が謝りながら俺の髪を食いちぎる夢を見た。起きて直ぐ忘れた。

俺の部屋は地下にある。太陽崩御に備えて作ったシェルターに俺は寝ている。無骨で寒い。夏にはいい。梯子段を昇り天井に付けられた扉を押し上げる。やけに重たく、微かに開いたばかりだった。洩れる陽光に目を細める。

痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。痛い。俺は右目を押さえる。何かが刺さったのか。じりじりと瞼は熱を発する。焼かれているようだ。太陽。生まれ変わった太陽。堪らず片目を頼りに階段を落ちるように下りる。
そんな、と口の中で呟く。そんな馬鹿なことがある筈ない。それでも俺は階段を上がることが出来なかった。何故なら上から母の声は聞こえず慌ただしい父の歩みも聞こえないからだ。だから俺は寝ていてもおかしくない。
狂ったようにサイレンが鳴り響いている。痛みは引かなかった。思い出したように俺を虐め、熱を持ち続けた。

携帯電話で連絡を試みた。友人にメールを入れ、電話を掛ける。少ない友人たちは誰も応答しなかった。パソコンを立ち上げニュースを読むと、とち狂ったような文章が画面中を占めていた。やはりサノブリボナは壊れたらしかった。そんな馬鹿なことが。生まれ変わる為に死んだ太陽は二度と生まれることはなかった。空にはさんさんと生ける屍が輝いている。

いつからかパソコンの時計が狂っていた。ネットの記事を読むに、俺の感覚が狂ったわけではないらしかった。昨夜から徐々にずれてきているらしい。もう陽の落ちる「二十時」になったというのに、時計は八つ時を指している。俺の信じていた時間はもう俺の中にしかない。
時計がなくても時は進む。二十時は夜なのだ、と漸く思い出した。

力の入らない体勢で無理矢理扉を押し上げると、どろりとした物体が流れ落ちてきた。赤と黄の混じる粘液のようなそれは見覚えのある髪飾りを飲み込んで俺の腕を侵した。
ああ。
思わず右の瞼を上げると何かが俺の頬をどろどろ這い始めた。熱い。俺はこの狭い視界で生きていかねばならないのか、と思うと、涙が出た。右から出ているのかはわからない。熱い粘液はまだ俺の右頬を這っている。

「ほら」
鈴木田が俺を見下ろしている。
「言ったじゃないか」
俺は奴の痩せた左頬をもう一発殴ってやった。その日から、五十三日目だ。



「あんたは何も食わないんでしょう」
鈴木田はここに至ってまだ人道だの道徳だのとほざいている。俺が窓を叩き割って侵入すれば従いてくる癖に、自分の手は汚さないし、盗品は食わないし食わせない。俺が罪を作るとにやにや笑って俺を見る。
「そして死んでいくんですね」
「人間は死ぬべきだったんだよ」
「でも生き残ってしまったんですから」
生きるしかない。俺は死ぬことが出来ない。だから何としても生きなければいけないのだ。

「あんた死ねばいいじゃないですか」
「足手まといが居るから死ねないんだ」
また足手まといという。俺は湿気たコーンフレークを食道に流し込む。喉が渇いたので台所の蛇口から直接水を飲んだ。この水もいずれ終わるのだろう。コンロの前には、腐敗を通り越してかぴかぴに乾いた肉塊があった。俺もいずれかぴかぴに乾くのだろう。

「馬鹿じゃないですか」
「馬鹿でいいんだ。俺は大事なものを曲げたくない。死んでもね」
「じゃあ何で俺と行動するんだ」
鈴木田は、サノブリボナの影響を受けない夜間だけ俺と行動を共にする。時計が壊れ、鈴木田は時間を失くしたから、俺が夜明けを報せれば足手まといの所に帰って行く。
身は安全にしたって、俺は犯罪者で暴力的で愚かで屑で馬鹿だ。行動を共にする理由なんて、欠片もないのだ。もしかして鈴木田は俺以上の馬鹿で屑なんじゃないのか。

「俺はあんたの道徳に賛同出来ない」
「しなくていい。君は君の価値の中で生きればいい」
「じゃあ従いてくんなよ!」
俺はまた鈴木田を殴る。思えばあれからこいつを殴り続けている。それでも鈴木田は従いてくる。もしかして変態なんじゃないか。俺は殴りたくて殴っているわけじゃない。殴った手は痛い。面白くも何ともない。

鈴木田はげほげほ噎せる。それでからにやりと笑ってこちらを向いた。やっぱり変態かもしれん。俺も何だか知らんが笑った。
「面白いのですか」
俺は聞く。笑いながら聞く。
「面白い筈がない」
「では何故笑います」
「その暴力性さ」
笑う理由にはならない。鈴木田は笑いのつぼもおかしいのかもしれない。

「君は人面獣心、野生にあるべき存在なのかも知れないな。適応能力が余りにも高い。突然の環境変化にも君は恐ろしいくらいの早さで順応した」
「それが面白いですか」
「酷く凶悪に、君は生まれ変わった」
「凶悪ですか」
禍々しき悪。俺は笑う。おかしなことを言う。お前の価値で生きろと言いながら、善だ悪だと散々喚く。俺からすれば凶悪はお前の方だ。

「さんざ親の脛齧って生き永らえてきた人が言いますね」
「脛を齧れる程逞しくない。脚が立たんのさ。いずれ殺してやろうとずっと心していたのに、あの日俺は足手まといを押入れにぶち込んだんだ。お陰でまだ生きている。君と同じだ。死ねなかったのさ」
俺はいつそんなことを洩らしたろうか。こいつにそんな、切なる愚痴を吐いたのだろうか。口惜しくて舌を打った。

「なら、ずっとその足手まといさんの所に居ればいいでしょう。従いてくるな。煩いんだ」
「君は後悔しているんだろう。俺の忠告を聞かず母親を殺してしまった不孝に苦しんでいる。それを忘れる為に俺を殴り、家を破り、人を脱しようとしている。君に比べれば、俺は至極真っ当な人間なんじゃないかって、錯覚するんだ。君と共にある間だけ、俺は人であることが出来る」
「意味わかりませんよ」

「君はわからなくていいんだ。わかろうとしたところで、無駄な努力さ。鏡は己の形を知ることが出来ない。時計は己で時を知ることが出来ない」
「ああ、わけわからん。きもいわ。何処が真っ当な人間ですか」
鈴木田はとにかく従いてくるのだ。それだけは理解した。俺の理解出来ない理由で以て従いてくる。俺は楽しくもないが憎々しい横っ面を殴るだけなので別に従いてきたって構わない。

どうせこいつは近々死ぬのだ。鈴木田は何も食ってないのだ。もう死ぬ。大丈夫。
大丈夫。

右頬に指を滑らす。すっかり浮き出た頬骨が乾いた肌を突き破りかねない。
鈴木田は五十三日前とちっとも変わらない青白い顔をして骨ばった指を左頬に当てている。

ふ、と口唇の隙間から息が洩れた。笑い出したら止まらないから俺は下唇を噛んで抑えた。
何て下らない。
それでも俺はこの世界で生きていくんだ。ここは俺の為の世界で、俺は生き残ってしまったのだから死ぬわけにいかない。まだ夜は明けない。秋になれば夜は段々と長くなっていくのだろうか。それとも徐々に短くなっていくのだろうか。前例がないから、俺にはわからない。

俺は空っぽの右目ににやけた笑顔を映して、鈴木田にそれを問うてみるべきか悩み、思い直してから口を開く。
「夜が明けますよ」
それでから走り出した。

ただひとり真夜中の手放された街に出る。長い地球の歴史の最初の日と最期の日は今現在かもしれない。空には二度目の死を謳歌する太陽が浮かんでいる。今はナイトモードだから消灯状態だ。太陽を亡くした月はもう死んでいる。生きているのはもう、俺だけだった。

# by caramel_box02 | 2016-09-19 00:03 | みっじかいの(縣)

環状線

 足元を猫が走っていると思えば、それは揺れに合わせて転がるコーヒーの空き缶だった。長い夢を見ていた。どれくらい眠っていたのかと外の風景に目を遣るが、間抜けに口を開いた俺の顔が見えるばかりである。
 車内は閑散としていた。俺は車内に立ち込める熱気に当てられて眠りに落ちた筈なのに、起きてみれば酷く寒い。気の利きすぎた暖房のお陰で、己の汗の冷たさに身を震わせる羽目になった。その所為で眠気もすっかり失せてくれた。
 腕時計を見遣る。もう直ぐ家に着く頃だろうか。コートの襟を合わせて、溜め息をつく。汗も徐々に引いてきて、体はぽかぽかと温まり出す。ここは楽園だ。外はどれだけ寒いだろう。この数日は雪が降りそうな、鋭い冷気を感じるのが常だった。

 からからから、と空き缶が転がった。
 缶から視線を上げると、自然に女と目が合う。俺の真正面に、いつの間にか女がひとり座っていた。蜂蜜のような黄色の、ふんわりしたワンピースを着た、すらりと痩せた美人だった。女は口許に微かに笑みを浮かべて、じっと俺を睨んでいた。
 美人に見詰められるというのも悪い気はしないが、俺は間違っても一目惚れされるような顔をしていない。その悲しい自覚が、沸き立つ自惚れを抑え込む。俺を誘っているわけではない。では知り合いだろうか。いや、記憶にない。次第に薄気味悪くなってきて、目を閉じて席にもたれ掛かった。

 からからから、と空き缶が転がった。それはかつん、と俺の爪先にぶつかった。
「おお」
 目を開けると、先の女が目の前に立っている。つい声をあげてしまった。女はただ微笑を湛えていた。
 女の足首には、木で作ったビーズのアクセサリーが巻かれていた。切れると願いが叶うという、あれだと思う。何という名前だったか。
 しかしこの空きに空いた車内で、わざわざ俺の前に立つというのがあるか。しかも女の視線は、変わらず俺に向けられている。

「あの」
 出来るだけにこやかに、女に声をかけた。
「何か、ご用でしょうか」
「いいえ」
 女の声はいやに高く、少女のように拙いものだった。ワンピースから伸びる細長い四肢に、不釣り合いな響きがあった。
「そうですか」
 いいえと言われてしまえば、これ以上言うことはない。どうせ俺は直ぐ降りるのだ。気にしたら負けだ。

 女が同じ駅で降りて、俺の後ろを着いてくる想像をする。俺は女と面識もないのだから、殺される心配はなかろうが、わからない。俺にとっての些細なことが、とんでもなく重大なことであるかもしれない。不意に睨んでしまっただとか、肩と肩がぶつかっただとか、考えてみれば恨まれる原因なんて幾らでもあるのだった。
 特に電車の中なんて、酷い。そもそも俺が座ってゆっくりと眠りにつくことが出来たのは、他人への無関心という武器で以て人を傷付けたからに他ならないのだ。誰もがそうしている。恨まれて然るべき、なんて理由は俺には見付からない。

「もし」
 女の甲高い声が、虎落笛(もがりぶえ)のように聞こえた。
「もし」
「はい?」
「あなたは何故私の前に座っているのでしょうか」
「はあ。何故と聞かれても」
 逆に聞きたい。何故俺の前に立つか。
「俺は元からここに座ってましたから」
「いいえ、いいえ。そこに座るのは私の子でした。何故あなたがそこに居るのです。気味の悪いこと」
「いや」
 気味が悪いのはこちらだ。この時間、子供が乗るようなことは稀だ。間違っても、こいつの子供なぞここには居ない。

「勘違いなされてるんですよ」
「いや、そこに座るべきなのは、確かに彼の妻だったね」
 妻ときた。とうとうおかしい。
「何故君がそこに座っているんだ。そこは彼の、妻の席だ」
「いや、ですから」
「ですから、じゃねえよ。ざけんなし。俺のミサの席なんだよ。退けよ、爺」
 爺とは心外な。俺は君と、十くらいしか変わらない。年長者に対して、偉そうに。
「ここは俺の席だ。俺が座っていたんだ。うるさいよ、何なんだよ」

「いいえ、いいえ。あなたの席ではありません。私の玄孫の席です」
「違う」
「いや、私は見ていた。彼の妻の席だ」
「違う」
「ミサの席だっつってんだろ」
「違う」
 からからから、と空き缶が転がった。それは俺の足許を離れて、対面する座席に座る女の足許にあった。
「落とした」
 女はぽつりと言って、缶を拾い上げた。そしてそれを大事そうに掌で包んで、ゆっくりと目を閉じた。
 アナウンスもなしに扉が開く。空気が急激に冷える。見覚えのあるホームの端が見えた。
 俺は鞄を抱え、コートの襟を掻き合わせて、電車を降りた。


   ■


 からからから、と空き缶が転がった。
「そっちに行っちゃ駄目よ」
 空き缶に対して注意するやつがあるだろうか。何かと思えば、まだ三つくらいの少女が俺の足許に座り込んでいて、その母親が連れ返しに来たようだ。
「駄目よ」
 こんな時間に、こんな幼子が居るのか。新鮮な気分になる。
「すみません」
 母親は苦笑いで頭を下げる。俺はただ笑いかける。そうか、居るものだな。俺はてっきり、この時間の電車に乗るのは帰宅するサラリーマンと学生だけだと思っていた。
 居るものだな。

「落とした」
 俺の足許の少女が、ぽつりと言った。
「落とした、落とした」
 屈んで床を眺めるが、落ちているのは空き缶だけだ。
「何を?」
「赤ちゃん」
「は?」
「ミサ」
 母親が慌てて子供を抱き上げる。子供は嫌々ともがくが、結局は押さえ込まれて対面の席に座るのだった。子供はきょろきょろ俺の顔を見た。

 扉が開く。冷気が滑り込む。
「寒い。ママ、いっぱいホットケーキ。いっぱい」
 親子は何か語らいながら電車を降りた。その後ろ姿を見るともなしに見て、扉が閉まる。むわりとした嫌な熱気が、俺の身体を包む。いやに暑い。暖房の設定温度を間違えているに違いない。背中を汗が伝った。

 女はやはり俺の対面に座っていた。真っ白い無気味な顔に優しい微笑を貼り付けて、俺を見詰めていた。俺はその微笑を求めていたような、拒んでいたような、懐かしい感覚に襲われる。その目で、漸くぴんときた。
「嘘をついていると思ったのでしょう」
 外気と同じ、温度の低い声だった。
「嘘?」
「ほら、見ての通り」
 指先で蜂蜜色のワンピースの裾をつまみ、広げてみせる。ふんわりとしたそれは、女の身体の線を巧妙に隠している。
「夫の誕生日だったんです。だから、私の体調なんか気にしてもらいたくなかった。元々無神経な人でしたけど」

 鏡のような窓ガラスに、不良めいた男の横顔が、ゾートロープのように浮かぶ。それは女の背後で、女の後頭部に向けて、笑いかけていた。
 例のアクセサリーが巻かれた足許は少し厚みのあるサンダルで、女はそれを見て無防備に、困ったように眉を下げた。初めて、女の顔に表情が生まれた。
「無茶というか、無理をしたんです。大丈夫だと思った。予定日も先でしたし、まだ」
「どうして、あんな時間に」
「夫の仕事が終わる時間に合わせて、電車に乗ったんです。知りませんでした。あんなに混んでいるものですか。無理矢理人が詰め込まれて、出荷されていくみたいですね」

 無言の俺に気付いてか、女はくすりと笑い、
「嘘をついていると思ったのでしょう」
「ああ」
 あんな時間のあんな電車の中に、妊婦が居る筈がない。おまけに派手な格好をしている。ただ座りたいが為に妊婦の振りをしたせこい女だと、思うことにした。
「俺を恨んでいるのか」
「いいえ、恨んでなんか。あなたでなくても、こうなっていたでしょうから」
 そうかもしれない。ただ偶然、この女が俺の前に立っていただけ。ただ偶然、その電車が急停車しただけ。それが俺でなくとも、結果は変わらなかったかもしれない。俺でなくとも、この赤ん坊を殺したかもしれない。誰だって。
 俺は何を必死に無意味な正当化をしようとしているんだ。
「私はあなたと無関係な人間ですから。無関心も仕方ありません。私だって、私を殺し得たかもしれない」
 女はふと溜め息を洩らした。
「目の前に立っていたって、何処までも無関係なのですから」
「本当に俺を恨んでないのか」
「恨んでほしいんですか?」
 俺は答えられなかった。ただ口を結んで俯く。
「あなたを恨んではいません。何度も言いますが、偶然だったんですから」
「ならどうして、今、俺の前に現れた」

 女は小さく首を傾げて、閉じた口を薄く笑みの形にした。俺は何て野暮なことを聞いたのだろうか。細い腕が、足許の木のアクセサリーを撫でる。
「私はただ、元気な赤ちゃんが産みたかっただけです」
 それが切れるのは、果たしていつになるのだろうか。それは女にとって足枷なのか、心の支えなのか、俺にはわからない。
「まだ、若いじゃないか」
 俺は自覚をして、無責任なことを言った。
「また、作ればいいじゃないか」
「そうでしょうか」

 アナウンスもなしに、扉が開いた。驚いて振り返るが、俺の無表情と目が合うばかりだ。
「そうだ。だから早く降りなさい」
 ガラスの向こうの女に語りかける。
「でも、こんな格好じゃ外には出られないでしょう」
 ガラスの向こうの女が立ち上がる。ノースリーブの、暖色のワンピースが膨らむ。
「私はまだまだここに居ますよ」

 車らしき閃きに浮かび上がった景色で、漸く目当ての駅であることに気付く。悠長にしすぎた。急いで降りると、間一髪、背後で扉が閉まった。
 寒い。寒い。じっとりと、嫌な脂汗を全身に掻いている。刺すように寒い。ポケットに手を突っ込み、首をすくめて、人気のないホームを出る。

 白いワンボックスカーの窓が開き、
「お帰り」
 妻は悪戯を仕掛ける子供のような笑みを浮かべた。
「‥‥大丈夫なのか」
 対照的に陰鬱な調子になった俺を不思議がるように、首を傾げる。
「何が?」
「腹だよ。赤ん坊が居るじゃないか」
「珍しいね、心配してくれるなんて」
 寒いから早く乗ってよと急かされて、助手席の扉に手を掛ける。

 からからから、と空き缶が転がった。誰かが、或いは俺が捨てたそれを指先でつまみ上げて、ごみ箱に放り投げた。それは籠の縁を叩いて、煌々と光る自動販売機の前に落ちた。
「ちゃんと捨ててきなよ」
 不服ながらも、こそこそと缶を拾い上げ、きちんとごみ箱に捨てる。円を描く矢印の中心に、陳腐な文句が書かれている。リサイクルでごみのない街。ぐるぐるぐるぐる回り続けて、バターにでもなるつもりなのだろうか。あの女はきっと阿呆だ。あの暖かな世界でぐるぐる回っている内に、脳も身体もどろどろに溶けてしまったのだ。

 俺は妻を助手席に移し、家路を駆けた。半分くらい行ったところで、はらはらとみぞれ状の雪が降り出した。この程度の雪では電車も止まるまい。俺は十年前に死んだ見知らぬ女の為に、十年ぶりに、幾度目かの涙を流した。






昔書いたのをリサイクル。
# by caramel_box02 | 2015-06-24 12:53 | みっじかいの(縣)

うた

幼馴染みって君だけで
その所為かぼくは
つまらんこと覚えてたりするんだ
君が忘れてるようなことも

ぼくら他の連中みたいに
じゃれ合うことがなくて
人混みの中で手を引いてくれた時から
街を歩く度 期待してしまうのさ

でもぼくの恋ってどうだって
始まった時から終わってて
君も知らないその内に
ぼくは死んでいくんだろうな


君の口から友達と
聞くだけでかなり辛いし
余裕ないんだ
友人として 特別じゃないんじゃないかって

どんなラブソングだって
ぼくの心を歌っちゃいない
綺麗な文句 幾ら紡いだって
君への想いは醜いままだ

もう会う奴皆決まって
ぼくのこと嫌うからさ
君の他70億人に
希望持てる筈がないんだよ

こういうことは古来から
うたで伝えるもんらしい
ぼくは変わらず童貞です
君のこと思いながら死ぬつもりです
# by caramel_box02 | 2014-11-12 08:44 | みっじかいの(縣)

NAMInoYUKUSAKI和訳

TVドラマ『SPEC』の主題歌、THE RICECOOKERSの「NAMInoYUKUSAKI」の歌詞の嘘和訳です。
和訳見てたら何か違うぞ、と思ったので英語出来ないなりに頑張ってますがきっと誤りしかないです。



I'm one step behind every step you take
ぼくは君の一歩後を歩んでる。
Each time I reach it just seems to fade away
いつも追い付けば何処かに消えてしまうようだ。
But with every speck of light, I fight the breaking need to try
でも微かな光を伴って、ぼくは破滅に抗ってみなきゃいけない。
Day will break the nite
日は夜を破って
And the light will find my way
光はぼくの道を照らし出すだろう。

In a dream I'm sure I saw it all
夢の中でぼくは確かに見た。
The tides that fall and rise again, and again
潮は引き、満ちて、そしてまた。
Well maybe it's just me, caught in desperation to
多分ぼくもそんなものだ。自棄糞なんだよ。
Fight this helpless falling sensation
救いようのない墜落の感覚と戦ってる。
I won't let this take me down
ぼくはそれに屈するつもりはない。

One after another endlessly
ひとつ終わりまたひとつ、繰り返して
How many more will I fight away
あと何回ぼくは戦うんだろう。
Every time hoping it'd be the last time I'll have to say hello
君との出会いはこれが最後ならと、いつだって願ってる。
Night after nite I dream of ways
夜が明けてまた夜、ぼくは夢を見続けてる。
To not have to meet you once again
再び君に会わないように。
Cuz every time feels like the very first time when I'll have to say goodbye
君との別れはいつだって、初めてみたいな気がするから。

You'll see me some day wondering around
君はいつか彷徨うぼくに会うんだろう。
Eyes shut and arms up singin' "I won't let me down"
目を閉じて腕を振り上げ「屈しない」と歌うぼくに。
And all I'll need is one break in your sigh to breath
ぼくに必要なのはそれを遮る君の溜め息で
Just one breath's enough to reach you
ただその一息で、君に届くには十分だ。
But somehow it keeps coming back
でもどうしたって戻り続けるんだよ。

One after another endlessly
それの後には違うそれが続いてて
How many more will I fight away
ぼくはあとどれだけ戦っていくんだろうな。
Every time hoping it'd be the last time I'll have to say hello
君との出会いはこれが最後であれといつも願ってる。
Night after nite I dream of ways
夜の後には違う夜が、ぼくは夢を見続けてる。
To not have to meet you once again
君に二度と会わずに済むように。
Cuz every time feels like the very first time when I'll have to say goodbye
君との別離の時はいつでも、ぼくの人生で初めてのことみたいに思うから。


Oh and as I open up my eyes
そうしてぼくが目を開く間に
A new dawn will cover it all
新しい夜明けが総てを包んでいくんだろう。
And so it starts again with the call of day
日の呼ぶ声と共にまた始まるんだ。
An endless start in motion
終わらない始まりが動き出す。

Build up of expectations
想像を逞しくしろよ。
And it soon engulfs the best of us
そいつはその内、誰彼構わずに襲い掛かる。
Lost in its speculations
推論の中で見失って
Will we ever find a way to trust
ぼくらは信じる道を見付けられる時がくるんだろうか。
What I'll need is a kind of patience
ぼくに要るのはちょっとした忍耐だ。
One that will give me the will to fight
それは戦う為の意思をくれるものなんだ。
The last voice that ends in cadence
最後の言葉は抑揚の中で終わった。
I won't let it be me
ぼくは自分をそうさせやしない。

One after another endlessly
そいつは永遠に途切れることなく
How many more will I fight away
ぼくはどれだけ戦うんだろうな?
Every time hoping it'd be the last time I'll have to say hello
いつだって君へのハローはこれで終わりにしたいと祈ってる。
Night after nite I dream of ways
夜は途切れることなく、ぼくは夢を見てる。
To not have to meet you once again
もう君に会わなくていいように。
Cuz every time feels like the very first time when I'll have to say goodbye
いつだって君へのグッドバイが最初の最初みたいに思えるからさ。

I'll get by with a little bit of
Hope and all and maybe just a little
ぼくはほんの少しの希望やらその他諸々やら
多分そのちょっとしたもので何とかやっていくんだろう。
Push on my shoulder and yes I'll take my plunge now
肩を前に進めて、今思い切って飛び込むんだ。
Cuz all in all it all rests on
全部が全部それ以外の何もかも
The first hand that you can let go
その手で君は解放してやれる。
Then and only then will you see why you've held on
そうしたらその時やっと、君が踏み留まり続けた意味がわかるんだ。

No
And yes you'll see why you've held on
No
いや、君にその理由がわかるものか
まだ定かじゃないよ。
# by caramel_box02 | 2014-03-28 17:22 | みっじかいの(縣)