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つき

鈴木田がにやけ面でじろじろとこちらを見るので、俺は睨んでやる。お前には関係ない、と口の中で呟く。お前は俺の親じゃないし兄じゃないし友人でもない。ただの鈴木田だ。時間の感覚を狂わせた時計だ。つまりは糞の役にも立たない屑だ。
人工太陽サノブリボナ暴走から五十三日。この界隈で生き残っているのは俺と鈴木田と、鈴木田の母親くらいだ。年老いた母親を鈴木田は足手まといと呼んだ。俺はそんな鈴木田が嫌いだった。



あと十六年で、太陽崩御の時は訪れる。最後まで識者たちは論争を続けた。地底深くでフルアーマーを纏い、何十年も語り合っていた。
「私たちは死ぬべきなのだ。太陽の替わりなど、産むべきではない」
「何故無為に死なねばならない。人類は何度も滅亡の危機に頻してきた。その度自然の摂理を曲げても、生き延びてきたではないか。今回だけ特別である理由はない。死ぬというなら、お前はそれを脱いでここを出るんだな」

何十年も、何十年も繰り返した所為で、その間に各国の大企業が力を合わせて人工太陽を作り上げてしまった。言葉は間に合わなかった。時は流れすぎた。
「生まれ変わった太陽」の名を持つその人工太陽は、アメリカのヒューストンから打ち上げられ、宇宙で組み立てられることになった。その間にも地底では言い争いが絶えなかった。だから太陽は殺されて、サノブリボナは打ち上げられた。
ある地域では氷河期が訪れていた。素朴な太陽信仰の根付いた地域だった。太陽が死んだ瞬間にその土地は死んだ。殉死に似ている。神を信じない俺は思った。

しかし俺の上では、死ぬ前と大差ない太陽がぎらぎら輝いていた。古典の研究や映像史料を漁り、俺たちの知る太陽よりも少し若返らせたらしかった。陽射しは柔らかく、透き通っていた。
サノブリボナ打ち上げから一週間経つと、人々は長い戦争から解放されたように活気付き始める。太陽の寿命が明確になってから、世界は混乱し絶望し荒れに荒れた。その世界に生まれた俺は初めて真っ直ぐな母の笑顔を見た。洗濯物を抱えながら俺の失敗に笑う母は少女のようで眩しかった。

俺は学校に行き始めた。人は嫌いで協調も嫌いで元々集団生活に向いてないのだと分析していたのに、何故だか行き始めた。世の中が浮かれていたから、俺の頭も浮いてしまったのに違いない。母の笑顔が見たくて、行ってきますと叫んだのに、違いない。

打ち上げから大体一年経った。俺は学校で幾人かの友人を作って太陽の下でだらだら生きた。平和は尊くて愛しくて慈しむべきものだった。
じゃあな、と友人と別れ、家路を歩く。随分と遊び呆け、陽が暮れかけていた。日が延びたな、とぼんやり思った。前の道から誰かが歩いてくる。見知った男は俺を見て小さく頭を下げた。俺も頷くように挨拶をする。すれ違いかけたところで、向こうは俺に掴みかかってきた。

「何かおかしいと思わないか」
絡まれた、と瞬時に判断し、そいつを突き飛ばした。俺は思い切り手を振るったのにそいつはびくりともしなかった。骨ばった色の青白い手は俺の肩を掴んで放さない。
「聞いてくれ」
そいつは俺の名を呼んで諭した。
「今何時かわかるか」
覗く手首には腕時計が巻かれている。意味がわからなかった。
「二十時二分でしょう」
「やはりか」

何がおかしいのだ。こいつの頭がおかしいのではなかろうか。
「それが何です、鈴木田さん」
「サノブリボナの設定は二億年前の、太陽のあった地球だ」
二億年前の地球、と言った。二億年前の太陽、とは言わなかった。
「二億年前、夏至の太陽は、二十時には沈んでいた」

何を言っているのだろう、こいつは。鈴木田のことはよく知っていた。近所の有名人、という噂によって、よく知っていた。恐慌の只中にありながら働きもせず食いもせず学校にも行かずに本を溜め込んで引きこもっている、と有名だった。幼い頃、俺は鈴木田と遊んだことがあるらしく、鈴木田は会う度俺に中途半端な会釈をした。
だから、俺は鈴木田が嫌いだった。

「よくわからないんですけど」
早く帰りたい。母は俺の帰りを待っている。帰らねばならない。それでも鈴木田は手を放さない。
「だから、今太陽が出ているなんてことは、異常だとしか思えないんだ」
「もう暮れかけてますけど」
「未知の危機が目の前に突き付けられても人間は前例の中でしか動けない」
鈴木田は目を細める。
「明日昇る太陽は屍かもしれない」

俺は舌打ちをして、右拳を目一杯下げた。弾かれた弓のように、俺の拳は飛んで、鈴木田の顔面を射抜いた。そして走り出した。
俺は自宅の階段を駆け下りて、ばさりと布団を頭まで被った。どうしたの、と母の声がする。どうしたらいいのだろう、と思う。人を殴ってしまった。ろくでなしで、変質者で、意味のわからない奴だとしても、殴ったのは俺だ。あのまま死んでしまったら俺は殺人者だ。どうしたらいいんだろう。その日はそのまま寝た。素っ裸の男が謝りながら俺の髪を食いちぎる夢を見た。起きて直ぐ忘れた。

俺の部屋は地下にある。太陽崩御に備えて作ったシェルターに俺は寝ている。無骨で寒い。夏にはいい。梯子段を昇り天井に付けられた扉を押し上げる。やけに重たく、微かに開いたばかりだった。洩れる陽光に目を細める。

痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。痛い。俺は右目を押さえる。何かが刺さったのか。じりじりと瞼は熱を発する。焼かれているようだ。太陽。生まれ変わった太陽。堪らず片目を頼りに階段を落ちるように下りる。
そんな、と口の中で呟く。そんな馬鹿なことがある筈ない。それでも俺は階段を上がることが出来なかった。何故なら上から母の声は聞こえず慌ただしい父の歩みも聞こえないからだ。だから俺は寝ていてもおかしくない。
狂ったようにサイレンが鳴り響いている。痛みは引かなかった。思い出したように俺を虐め、熱を持ち続けた。

携帯電話で連絡を試みた。友人にメールを入れ、電話を掛ける。少ない友人たちは誰も応答しなかった。パソコンを立ち上げニュースを読むと、とち狂ったような文章が画面中を占めていた。やはりサノブリボナは壊れたらしかった。そんな馬鹿なことが。生まれ変わる為に死んだ太陽は二度と生まれることはなかった。空にはさんさんと生ける屍が輝いている。

いつからかパソコンの時計が狂っていた。ネットの記事を読むに、俺の感覚が狂ったわけではないらしかった。昨夜から徐々にずれてきているらしい。もう陽の落ちる「二十時」になったというのに、時計は八つ時を指している。俺の信じていた時間はもう俺の中にしかない。
時計がなくても時は進む。二十時は夜なのだ、と漸く思い出した。

力の入らない体勢で無理矢理扉を押し上げると、どろりとした物体が流れ落ちてきた。赤と黄の混じる粘液のようなそれは見覚えのある髪飾りを飲み込んで俺の腕を侵した。
ああ。
思わず右の瞼を上げると何かが俺の頬をどろどろ這い始めた。熱い。俺はこの狭い視界で生きていかねばならないのか、と思うと、涙が出た。右から出ているのかはわからない。熱い粘液はまだ俺の右頬を這っている。

「ほら」
鈴木田が俺を見下ろしている。
「言ったじゃないか」
俺は奴の痩せた左頬をもう一発殴ってやった。その日から、五十三日目だ。



「あんたは何も食わないんでしょう」
鈴木田はここに至ってまだ人道だの道徳だのとほざいている。俺が窓を叩き割って侵入すれば従いてくる癖に、自分の手は汚さないし、盗品は食わないし食わせない。俺が罪を作るとにやにや笑って俺を見る。
「そして死んでいくんですね」
「人間は死ぬべきだったんだよ」
「でも生き残ってしまったんですから」
生きるしかない。俺は死ぬことが出来ない。だから何としても生きなければいけないのだ。

「あんた死ねばいいじゃないですか」
「足手まといが居るから死ねないんだ」
また足手まといという。俺は湿気たコーンフレークを食道に流し込む。喉が渇いたので台所の蛇口から直接水を飲んだ。この水もいずれ終わるのだろう。コンロの前には、腐敗を通り越してかぴかぴに乾いた肉塊があった。俺もいずれかぴかぴに乾くのだろう。

「馬鹿じゃないですか」
「馬鹿でいいんだ。俺は大事なものを曲げたくない。死んでもね」
「じゃあ何で俺と行動するんだ」
鈴木田は、サノブリボナの影響を受けない夜間だけ俺と行動を共にする。時計が壊れ、鈴木田は時間を失くしたから、俺が夜明けを報せれば足手まといの所に帰って行く。
身は安全にしたって、俺は犯罪者で暴力的で愚かで屑で馬鹿だ。行動を共にする理由なんて、欠片もないのだ。もしかして鈴木田は俺以上の馬鹿で屑なんじゃないのか。

「俺はあんたの道徳に賛同出来ない」
「しなくていい。君は君の価値の中で生きればいい」
「じゃあ従いてくんなよ!」
俺はまた鈴木田を殴る。思えばあれからこいつを殴り続けている。それでも鈴木田は従いてくる。もしかして変態なんじゃないか。俺は殴りたくて殴っているわけじゃない。殴った手は痛い。面白くも何ともない。

鈴木田はげほげほ噎せる。それでからにやりと笑ってこちらを向いた。やっぱり変態かもしれん。俺も何だか知らんが笑った。
「面白いのですか」
俺は聞く。笑いながら聞く。
「面白い筈がない」
「では何故笑います」
「その暴力性さ」
笑う理由にはならない。鈴木田は笑いのつぼもおかしいのかもしれない。

「君は人面獣心、野生にあるべき存在なのかも知れないな。適応能力が余りにも高い。突然の環境変化にも君は恐ろしいくらいの早さで順応した」
「それが面白いですか」
「酷く凶悪に、君は生まれ変わった」
「凶悪ですか」
禍々しき悪。俺は笑う。おかしなことを言う。お前の価値で生きろと言いながら、善だ悪だと散々喚く。俺からすれば凶悪はお前の方だ。

「さんざ親の脛齧って生き永らえてきた人が言いますね」
「脛を齧れる程逞しくない。脚が立たんのさ。いずれ殺してやろうとずっと心していたのに、あの日俺は足手まといを押入れにぶち込んだんだ。お陰でまだ生きている。君と同じだ。死ねなかったのさ」
俺はいつそんなことを洩らしたろうか。こいつにそんな、切なる愚痴を吐いたのだろうか。口惜しくて舌を打った。

「なら、ずっとその足手まといさんの所に居ればいいでしょう。従いてくるな。煩いんだ」
「君は後悔しているんだろう。俺の忠告を聞かず母親を殺してしまった不孝に苦しんでいる。それを忘れる為に俺を殴り、家を破り、人を脱しようとしている。君に比べれば、俺は至極真っ当な人間なんじゃないかって、錯覚するんだ。君と共にある間だけ、俺は人であることが出来る」
「意味わかりませんよ」

「君はわからなくていいんだ。わかろうとしたところで、無駄な努力さ。鏡は己の形を知ることが出来ない。時計は己で時を知ることが出来ない」
「ああ、わけわからん。きもいわ。何処が真っ当な人間ですか」
鈴木田はとにかく従いてくるのだ。それだけは理解した。俺の理解出来ない理由で以て従いてくる。俺は楽しくもないが憎々しい横っ面を殴るだけなので別に従いてきたって構わない。

どうせこいつは近々死ぬのだ。鈴木田は何も食ってないのだ。もう死ぬ。大丈夫。
大丈夫。

右頬に指を滑らす。すっかり浮き出た頬骨が乾いた肌を突き破りかねない。
鈴木田は五十三日前とちっとも変わらない青白い顔をして骨ばった指を左頬に当てている。

ふ、と口唇の隙間から息が洩れた。笑い出したら止まらないから俺は下唇を噛んで抑えた。
何て下らない。
それでも俺はこの世界で生きていくんだ。ここは俺の為の世界で、俺は生き残ってしまったのだから死ぬわけにいかない。まだ夜は明けない。秋になれば夜は段々と長くなっていくのだろうか。それとも徐々に短くなっていくのだろうか。前例がないから、俺にはわからない。

俺は空っぽの右目ににやけた笑顔を映して、鈴木田にそれを問うてみるべきか悩み、思い直してから口を開く。
「夜が明けますよ」
それでから走り出した。

ただひとり真夜中の手放された街に出る。長い地球の歴史の最初の日と最期の日は今現在かもしれない。空には二度目の死を謳歌する太陽が浮かんでいる。今はナイトモードだから消灯状態だ。太陽を亡くした月はもう死んでいる。生きているのはもう、俺だけだった。

by caramel_box02 | 2016-09-19 00:03 | みっじかいの(縣)
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